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天才と凡人

久しぶりに西尾維新の戯言シリーズを読んでいて思ったのですが、僕は「圧倒的な能力を持った人と、そのそばにいる凡人」という関係が好きです。

「さくら荘のペットな彼女」でもそういう関係が描かれていましたが、自分とは住む世界が違うような能力を見せつけられ、それにもかかわらずその人の傍にいなければならないという時に感じるであろう絶望感や嫉妬といった感情、そういったものを見るのが好きなのかもしれません。そしてそういう関係は現実にも少なからず存在するように思います。

もしも自分が相手の全てを受け入れ、同一化することが出来たら楽なのかもしれません。
相手の成功は自分の成功であって、相手の価値は自分の価値というように考える事ができれば、少なくともその「差」を意識することはなくなるでしょう。相手の存在は自分そのものなのですから。

しかし、やはり現実的にはそのような考え方は難しいでしょう。それはある意味自分自身の放棄であり、自分という型に相手の全てを流し込むようなものです。
その型が空っぽならいざしらず、少しでも自分というものを持っていれば反発が起きるのを避ける事はできません。逆に相手に押しつぶされて苦しいだけでしょう。


それでも上記の彼らが曲がりなりにもやっていけているのは、彼女らが「天才」だからなのかもしれません。天才というのはある意味楽です。何もせずとも、生まれたその時から自分とは絶対的に違う能力を持っているのですから。それはただそういう結果があるだけで、誰も責められることはありません。

ただ仮にその圧倒的な能力が、後天的に、いわゆる「努力」によって獲得されたものだったら。こちらのほうがよっぽど辛いのではないでしょうか。
だってそうでしょう。スタートは同じだったのです。その人は努力した。自分はしなかった。だからこんなに「差」がある。これはそういった過程の問題です。

僕は親密な人間関係は対等でなくてはならないと思っているので、いや思っているからこそ、そういった「差」のある人間関係においていかに悩み、先に進んでいけるかといった事に興味があります。もっと言えばそもそういった関係を無理に続けることが善いかどうかも含めてですね。

だからもっともっと、そういう関係性を「観て」みたいと思うのです。

2013年09月16日 考え事 トラックバック:0 コメント:1

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天才とは異常です
痛みも何もかも愛することができたらいいですね

2013年09月24日 URL 編集












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